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あててみよう (三) 

よし、速いぞ、リュックが軽くてよかった。そうだ、いっそ、カバンを捨ててしまおう。後ろに投げれば、怪物がつまずいて時間をかせげるかもしれない。
もっと走れ、まだいけるはずだ。明日筋肉痛になっても構わないから、もっと腿を上げろ。顔も上げろ、ちゃんと前を見て走るんだ。目は閉じちゃいけない。
うわ、右に持っていかれる。なんか、体がものすごい勢いで右に持っていかれる。なんだ、風か、いやいやいや、これはなんだ、左だ、左から肘と脇腹に何かぶつかったんだ。すごい力だな、体がどんどん右に行く。足がついていかない。引き摺られっぱなしだ。ああ、たぶん折れた。
こりゃ、車だ。車にぶつかった。
やばいな、全然力が弱まらない。両足とも完全に腰より左だ。

頭の後ろが熱いな。めちゃくちゃ眩しい。目が渇いてるのかな。なんか、しばしばする。
あ、冷えてきた、暗くなってきた。痛いより前に眠いな。人間ってよくできてるな。死ぬときは痛くないのか。生き物って本当によくできてるな。もう、寒いくらいだわ。
まだ頭の中にちょっとだけ熱いのが残っているな。これが僕か。うん、これ僕だな。そうか、これが僕か、今の僕か。もうこれだけになっちゃったんだな。
あっという間だな。さっきまで色々考えたり、「走れ」とか言って足に指令を出したりしてたのに、今やもうこれだけだもんな。
さっきの話、どれが一番怖かったかな、、、大男か、子どものゾンビか、セミの幼虫の化け物か。大男だったら、今頃カマ掘られてるな。子どもだったら、どうだろう、とりあえず謝るな。水子なんて俺、身に覚えないけど。とにかく謝って、地べたに頭こすりつけて土下座して、亀みたいにうずくまって頭隠して、石みたいに固く縮まって、そのまま水の中に落ちていって、海の底まで沈んでいって、そこから今度は手足を広げて、ウミガメになって泳ぎだして。
ああ、もう寝そうだな。たぶん今、もうローソクの火くらいだな。このまま寝て、終わりだな。何もできないんだな。人って死ぬ前に何にもできないんだな。

(終)

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あててみよう (二) 

いや、そんなんじゃない。これは、そんな男の足じゃない。

 ぬた、ぬと、にと、
にと、にた、ぬと。
音が近くなってきた。

国民服を着た少年が、乾いて白くなった泥のこびりついた足を引きずって歩いてくる。煤で汚れたその顔は、目が片方潰れていて、鼻は崩れ落ちて白い骨がちらちら見え隠れしていて、そいつが僕に「お父さん、ただ今帰りました」と言って、泣きながら抱きついてくる。
その腕は鉄棒に布をかぶせたような感触で、暖かいところ、柔らかいところがひとつもなく、昔、友達の髪の毛を面白がって燃やしたときの匂いと、ホームレスの臭いがする。少年が僕の足を抱きしめて頬ずりするので、耳の穴から這い出したウジ虫が、僕のズボンにはりついたまま次々と潰れていく。
逃がれようと後ずさりしても少年は全然力を弱めない。僕の足にしがみついて、土と乾いた泥と、煤と、ウジ虫と、腐った枯れ葉と、涙と体液と灰色に濁ったよだれで僕のズボンを濡らしながら、こう言うんだ。
「生き埋めにされ、長い間土の中に閉じ込められておりましたが、こうして無事に成長している姿を一刻も早くお父さんに見てもらいたくて、ただいま戻って参りました。お父さん、どうか名前をつけてください」

いやいや、ちがう。この足音は子どもじゃない。もっと重くて、ぶよぶよしてて、蝉が羽化する前のまだ柔らかくて乳白色のやつが巨大化したような、水っぽいのに、全身に産毛が生えていて、割れた口からは、醤油みたいな臭い液がたれていて、、、

ぬと、にと、にと、
にと、にと、にし。
足音が急に固くなってきた。

もうだめだ、これ以上耐えられない。急げ、全速力で走れば間に合うかもしれない。今だ、走り出せ。間一髪だ。

(つづく)

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あててみよう (一)

僕が歩くと月も歩く。僕がとまると月もとまる。半分よりもちょっと欠けた月。三日月と言うには、すこし太っているな。うすい綿のような、まばらに広がった雲が、その月の光を遮ったり、遮らなかったり、調光器の役割をしている。
でも、それよりも気にかかるのは僕の後ろ。さっきからずっと音がしている。

 ぬた、ぬた、ぬた、
ぬた、ぬた、ぬた、

そう、これも月とおなじ、僕が歩くと音がする。僕がとまると音もやむ。誰かが裸足で僕の後ろを歩いているみたいだ。足は僕の、ちょうど車一台分くらい後ろを、僕が歩いてきた通りに、僕の歩き方を真似て、僕についてくる。

ぬた、ぬた、にた、
ぬた、ぬと、にと。
さっきより足音が力強くなってきたようだ。

一糸まとわぬ大男が背後から近づいてくる。額は岩棚のように平べったく、短髪で、頭頂部が薄くなっていて、首は切り株みたいに太く、肩はボーリングの球みたいで、そしてもちろん胸も腹もムキムキに割れていて、肉屋でよく見かける肉の部位を示したポスターみたいだ。股間には、僕の手首ほどはあろうかと思われる立派なものが、まっすぐ僕に狙いを定めている。カエルのような太もも。でも足の裏だけは柔らかいらしい、さっきから聞こえるのは、ほんのり湿った粘土を工作室の作業机に勢いよく押しつけたときのような音だ。
ビー玉のような目を、たった今水から掬い上げたばかりのように輝かせて、彼は僕を待っている。僕が足音に気づいて振り返るのを。僕が、ふと、小学生の時分に聞いたことのある懐かしい音が自分の数歩後ろでしているような気がして、何気ない顔で首を回し、肩越しに、僕の影をすっぽり飲み込むほどの大男が、両手で掬うような格好で僕に微笑むのを見て、ムンクの「叫び」みたいに静かに立ち尽くすのを、今か今かと待っている。
その巨木のような大男は、僕がまるで、、、

(つづく)

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醜女村(しこめむら)

今日は醜女村の話をしよう。

昔々ある村に、それはそれは美しい娘がおったそうな。どれくらい綺麗だったかって? さあねえ、何しろ村中の男衆はみんなその娘に惚れてたっていうし、山向こうの町からわざわざその娘を一目見るためにやってくる男もいたってくらいだから、よっぽどの美人だったんだろうよ。そんなわけだから、娘はとっても大事に育てられて、大きな病気もしなけりゃ、怪我もなく健やかに育ったそうな。

ところが娘が十六、七になったある年、村はひどい大凶作に見舞われた。米がまったく実らなかったんだ。秋になり、稲穂が重くなって垂れてこなきゃいけないのに、中身がすっかすかなもんだから、ぴんと立ったままちっとも垂れてこない。さて困った、このままじゃ村は飢え死にしてしまうというときに、村で一番年寄りの婆様が言ったのさ。「山の神の怒りじゃ。山の神が怒っているのじゃ」と。村人は山の神が怒りを静めてくれるよう、ありとあらゆることをやった。村の男達は、女達が作ったお供物を持って、毎日山の麓の祠にお祈りに行った。

そんなとき、村でこんな噂が広まった。山の神の怒りを静めるには村で一番きれいな娘を差し出せばいい。村人はもう藁にも縋りたい気持だったから、そんな噂を信じてしまった。一種の狂気だね。村の主だった男達が集まって、話し合って娘を一人差し出すことに決めた。そう、あの娘を。

もしかしたら娘のことを妬む誰かが、こんな噂を流したのかもしれない。いずれにしても、昔のことだからよくはわからないがね。程なくして、本当に稲穂は重くなって垂れはじめた。村の人々は、山の神が怒りを静めてくれたんだと大喜びだ。だが話はまだ終わらない。

豊作で村中が浮かれている間に、一人、また一人と村の娘がいなくなるようになった。しかも器量のよい子ばかりだ。村人が山の中に入って行くと、獣道に赤い鼻緒の下駄が落ちていたり、そんなこともしばしばあった。

村は再びパニックだ。今度は娘の祟りだと騒ぎだしたのさ。それでどうしたと思う? 村の男達は頭を寄せあって、またもやとんでもないことを考え出した。器量よしだと危ないんだろう、そんなら娘を醜くすればいい。家に帰った男達は、娘の顔に泥やら、炭を塗ったくりはじめた。でも、泥や炭じゃあ洗えば落ちてしまうってんで、娘の髪の毛をひっつかんで火をつけたり、娘の頬に刃物で傷をつける者までいた。村中気が狂っちまった。隣の娘の方が醜いとわかると、自分の娘を捕まえて、あちこちいたぶって傷つけるのさ。それが行き過ぎて、殺してしまうことさえあった。親が自分の子をだよ。酷い話だろう? それからというもの、その村は誰が付けたのか醜女村と呼ばれるようになったとさ。

それでその話はその後どうなったのかって? そんなの知らないよ。村中の娘が皆醜くなったんだから、もう連れ去られることもなくなったんだと思うよ。とにかく、その村の娘は今でも皆器量がひどく悪いんだそうだ。うちの嫁なんか、実は醜女村出身なんじゃないかと思っているんだがね。やっいけねえ、聞こえちゃったみたいだ。

(2006年執筆)

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